DJ MINAMI (SATURDAY AZURE)

クラブDJとしてのキャリアは誰もが認め、現在ではBIG PARTYには欠かせない存在である、CLUB DJ/PRODUCER DJMINAMI!!
これまでに様々な海外アーティスト(KENNY DOPE&DJ ARAMO"BRANDNUBIAN"/DJ PREMIRE/DJ JAZZY JEFF/DJ CLARK KENT/DJ GRAND MASTER FLASH/DJ WHOOKID/DJ KID CAPLI/Strech Armstrong/DJ ENUFF/DJ TONY TOUCH/…etc)らとの共演など着実にキャリアを重ね、リアルN.Yスタイルをベースとした、シュアなセンスと幅広い選曲の実力派DJ。現在まで にMIXTAPEをVol.13までリリースし続け、また、大阪Club UNDER LOUNGE Anniversary Original Compilation CDにトラックを提供するなどプロデュースの方面にも活動の場を広げ、現在N.Y在住のトラックメーカー"Tah"EQ-KNOCKと共にプロデュー スチーム"HIGHMARKET SOUNDS"を結成。N.Y在住のアーティストらとのコラボ等の作品を企画、製作中である。関西のクリエーター集 団"INTELLIGENTDOGGS"のオリジナルメンバーでもある彼は、地元大阪で行われている人気HIP HOPPARTY"SOUL FREE"@UNDERLOUNGE(毎週日曜)(今や全国区でその名を轟かせている関西最大級ヒップホップパーティー)や、"SOUL FOOD"@AZURE(毎週土曜)のレジデントDJとして活躍している他、"SOUL FREE"の水曜日版として大阪梅田にNEW OPENした"SAZA-E"でもレギュラーPLAYを開始。 そちらも人気急上昇、大盛況となっている。
2000年からは毎年NEW YORKに遠征DJPLAYを行い、2005年にはアメリカ東海岸にて念願のDJツアーを実施し(club AVALON(ex Lime Light),club CROVER,club TEMPLE,BB King(コネチカット)etc...)マンハッタンの最先端のクラバーから絶賛を浴びる。更に大阪では2005年11月にNEW ALBUMをリリースした2MC"THE 9 FAR EAST"のExective ProducerとしてRyu-Ja & TRANPと共に制作活動も続けている。
また、2004年にはRYUZOが立ち上げた新レーベル「R-RATEDRECORDS」にも参加し、そのメン バーと共に"LAFAMILIA"@AZURE(毎月第一金曜)を開催。今後もMIX物のリリースは勿論のこと、新企画のPARTY開催や現場PLAY など常に前進し決して止まることのないアーティストである。
DJ 下拓 (SATURDAY AZURE , Ruby Red)
1996年にHIP HOPと出会いダンスシーンに影響を受け1997年に本格的にDJを始める、間もなくCLUB FLATtのstaffとなり (後に店長となる)その後,今のDJ下拓を形成する様々な出会いがある。
その中にはHIP HOP以外のジャンルが充実していたFLATtでの影響を受け今のジャンルレスなDJ STYLEが つくられる。
現在、CLUB AZUREの看板イベント毎週土曜日リアルな音楽が流れるPARTY「SOULFOOD」や、関西最大級の集客を誇り、常に話題を提供している毎月第 二・第四金曜日のBIGPARTY「OSAKA SAFARI」@GRAND CAFE のメインDJでありながら , 東京のDJ KOMORIとレギュラーである偶数月第三木曜日R&B PARTY 「RUBBY RED」@AZURE 毎月第一・三金曜日「WHATH'S POPPI'N」@PURE、毎月第一木曜日「BROWN SUGAR」@STUDIO CANDYなどのレギュラーPARTYを中心に活動し、大阪や各地方などでのGUEST出演はもちろん、年間150本以上のDJ PLAYをこなす数少ないDJである。
MIX音源では「LESSON」「TODAY'S CONCEPT」「PROPS」等があり好セールスを残す。彼のPLAY STYLEは、HIP HOPを中心に(R&B,REGGAE,SOUL,HOUSE,ROCK etc....)ジャンルの枠にとらわれない事を基本においての選曲でありながらも、それを”HIP HOP”と感じさせるPLAY STYLEと、現場を一番として考える”流れ”を意識した選曲、メインの時間帯はもちろんの事、レギュラーPARTY等で見せるクローズ間際のPLAY などの選曲は多くの通やファンをうならせる、しかもHOUSEのイベントでの”5 HOURS LONG SET ”など彼のPLAY STYLEには限りがなく、また毎年、年に1度12.30にCLUB AZUREにて開催されている「PROPS "DJ下拓7HOURS LONG SET"」も今年も大成功におさめるなど、間違いなく今後の動きが気になる。DJの一人であり、関西の中心を今後背負っていくDJである事は間違いない。
DJ KATZ-ZOW (SATURDAY AZURE)

1997年頃から大阪を拠点にDJ活動を開始。関西エリアを中心に活躍中の注目株のCLUB DJ!“KATZ-ZOW”
当初からDJとしてのバランス感覚、ミックス、選曲センスは抜群で、DJ ENUFF,DJ TONY TOUCH...etc国内外問わず様々なアーティストとの共演を重ね、着実にキャリアを築く。2003年には大阪・アメ村にあるCLUB AZUREの毎週土曜日「SOUL FOOD」(TRUE MUSICと題したこのパーティーはCLUB AZUREのオープン以来、音楽の本質を提示し、大阪ヒップホップシーンに新たなムーブメントを巻き起こしている)にDJ MINAMI,DJ TOSHIBO,DJ下拓と共にレジテンツを務める。
また、名古屋の雄DJ CAUJOONを迎え、名古屋と大阪を繋いだ「SLUM HIGH」@CLUB AZUREなどのイベントも企画し、平日ながら多くのヘッズを動員。これを期に自身も名古屋へと活動を関西圏より広げる事になる。
現在、大阪・梅田にあ る日本屈指の大型クラブ『danceteria SAZA*E』にて毎月第4木曜日"TWISTER"にてメインDJとしてPLAY。HIP HOP DJとREGGAE SOUNDによる抜群のコンビネーションで話題を魅せている"TWISTER SOUND"としても活躍。
そして昨年秋よりスタートしたNEW PARTY "BROWN SUGER"@CANDYもメインDJとしてPLAYするなど、数々のビッグパーティーに出演してきた実力は止まる事なく前進し続ける。
RYUZO (LA FAMILIA)

94年にラッパーとしての活動を開始して以来、MAGUMA MC's としての勢力的な活動を行ってきたRYUZO。
伝説のアナログ「OWL NIGHT」に唯一京都から参加し、日本人アーティストとの共演はもちろんのこと、関西ではほとんどの来日ヒップホップアーティストの前座を務めるなど し,98年にはDESPERADOと共に「GREEN FORCE CREW」を結成。2001年には名古屋(M.O.S.A.D.)・京都(MAGUMA MC's)・横浜(OZROSAURUS)から成る「YOUNGGUNZ」を結成し、OZROSAURUSの1stアルバム『ROLLIN’045』に 楽曲を収録。2003年にはMAGUMA MC'sのフル・アルバム『MASSIVE』をリリース。また、同時期に発売されたDABOの3rdアルバム『DIAMOND』にも参加。
2004年に 入ってからは、DJセロリのアルバム『BEATS JAPAN』や妄走族の4thアルバム『進行作戦』に参加。DABOやDJ EVIL DEE (THE BEAT MINERZ)の全国ツアーに同行するなどし、ライヴ活動を続けながらも2005年にはDJ HAZIMEの1stアルバム『AIN'T NO STOPPIN THE DJ』や"E"QUALの1stメジャーミニアルバム『ごうだつゲーム』、DJ RYOWの1stアルバム『STREET DREAMS』, 565 FAMILIAの1stアルバム『GANGSTA BOOGIE』、KONAMIのコンピレーションアルバム『573』、DELIの2ndメジャーアルバム『24』に参加。
同年、遂に自主レーベル【R- RATED RECORDS】を設立し、【BABY MARIO PRODUCTION】、【FUTURE SHOCK FOUNDATION】、【avex trax】と強力タグを組んで待望のソロミニアルバムをリリースする。
また、R-RATED RECORDS所属アーティストであるANARCHY 、LA BONOと共に「THE CHEVY$」を結成するなど今後の活動からも目が離せない!
ANARCHY (LA FAMILIA)

1995年にラッパーとしての活動を開始し、数々のライヴで全国にその名をとどろかせる、現在ストリート注目度NO.1のラッパー。
2000年には JC, NAUGHTY, BERRY, DJ AKIOと共に【RUFF NECK】を結成し、2003年に発表した自主制作のマキシシングル『GHETTO DAY'Z』は驚くべきことに一ヶ月で2000枚を完売するに至った。
その後もB-NINJAH&AK69『DA REAL THING』,『HARLEM VER 3.0』, DJ HAZIME『AIN'T NO STOPPIN' THE DJ』などのアルバムへの参加を経て、2004年、【R-RATED RECORDS】に立ち上げから参加。,YAKKO FOR AQUARIUS『MY HOOD IZ...』,RYUZO『RELOADED』RYUZOなどへの参加後、マキシシングル『GHETTO KING』を12月21日に発売し、オリコンインディーズシングルチャート初登場4位を獲得。
2006年4月19日には待望のセカンドシングル 『GROWTH』を発売。
また、2006年には遂にフルアルバムをリリース予定。
LA BONO (LA FAMILIA)

自身のクルー【307 BOY$】と共に着々と勢いを増しているLA BONO A.K.A. BITTER CAPPUCINO。
2001年より京都最大のヒップホップパーティー"RING THE BELL"をプロデュースし、毎年平均600人以上を集客中。
また2002年には名古屋PHOBIA OF THUGのMR.OZ、RUFF NECKのJCと共にマンスリー・イベント"TRAININGG DAYZ"をプロデュース。1年間開催されたこのイベントは京都WOOPEESに毎月平均200人を動員。
この頃からMCとしての才能を開花し始め、 M.O.S.A.D., B-NINJAH&AK-69, DJ RYOW,II-J, PHOBIA OF THUG, BIG RONなどのアルバムにフィーチャーされ、いよいよ2006年3月22日にファーストソロマキシシングルをBIGG MAC RECORDS/R-RATED RECORDSから発売。
YOUNG BERY (LA FAMILIA)

今期、ドラフトNO.1ラッパーANARCHYを要する京都発のヒップホップグループRUFF NECKからYOUNG BERYが更なる旋風を巻き起こす!
2000年にANARCHY, JC, NAUGHTY, DJ AKIOと共にRUFF NECKを結成し、2002年に1000枚限定で即完売した自主制作のマキシシングル『BLACK JACK / RUFF NECK』は現在でもプレミア作品としてオークションなどで高額取引されている程の人気を誇り、その後もライヴ活動を続けながらB- NINJAH&AK-69『DA REAL THING from the street』、DJ 4-SIDE『THUGS 4 LIFE』やDJ RYOW『PROJECT DREAMS』などに参加。
遂に2006年5月31日、ファーストソロEP『REAL RIDE S**T』をBIGG MAC RECORDSからリリース!
NAUGHTY (LA FAMILIA)

2000年にANARCHY, JC, YOUNG BERY, DJ AKIOと共に【RUFF NECK】を結成し、2002年に発表した1000枚限定の自主制作のマキシシングル『BLACK JACK』は現在でもプレミア作品としてオークションなどで高額取引されている。
地元や近県でのライブ活動に励んでいたNAUGHTYは、RUFF NECK名義で参加したB−NINJAH&AK−69『DAREAL THING』やDJ 4−SIDE『THUGS 4 LIFE』、YOUNG BERY『REAL RIDE SHIT』、また、GHETTO SUPERSTARS名義で参加したDJ RYOW『PROJECTDREAMS』、SHADY『GETTIN’ PAID』、GRANDBEATZ『PROJECT DREAMS PT.2』などで示されるように、卓越したライムスキルを武器にするリリシストとして一目置かれる存在であった。
そんな彼が遂にR−RATED RECORDSからソロデビュー。
第一弾として11月8日にマキシシングル『SLICK LYRIC』をリリースする予定。
DJ LEAD (LA FAMILIA , ROC A CITY)

今年でキャリア8年目にあたる京都出身のDJ LEADは、地元でのDJ活動中にPARTYをPRODUCEしたりMIXTAPEの売上本数を伸ばし、MOLUV ENTERTAINMENT(www.moluv.jp)にて新譜レビューを担当する。
その後関西に来た海外の大物アーティストの前座(DJ ENVY, DJ JAZZY JEFF, Tony Touch, DJ EVILL DEE & MR,WALT, DJ SPINBAD, DJ STRECH ARMSTRONG, DJ GOLD FINGER, XZIBIT, CHINGY,KURUPT, ROSCOE,SHADE SHEIST, BIG BOY&DJ E-MAN) などをして着々と実力をつけていった。
2003年には大阪ミナミにて「AZURE」というクラブをオープンし、毎週金曜日「SHEETS」で自身がレ ギュラーーDJを努め、活動範囲を関西に広げる。その後、MAGUMA MC'SのRYUZOのLIVE DJとして全国ツアーに同行するなどし、アーティストとの交流を全国へと広げていった。
DJ LEADの勢いはそれでも止まらず、2004年にはNYのヒップホップラジオ局「HOT 97」にてレギュラーDJを努めるDJ ENVYを日本に招き、DJ ENVYの全国ツアーの前座DJとして全国を一緒に周った。更にはこのツアーをきっかけにDJ ENVYにNYのラジオ番組へ招待され、HOT97に出演すると同時にDJ ENVYのBIRTHDAY BASHが行われたクラブでもプレイするに至る。
さらに他県、海外との交流を拡大する一方、大阪では毎週日曜日SAM&DAVE2でのレディースナイト FREAKYへの参加、R-RATED RECORDS主催のLA FAMILIAでのPLAY。
また、2005年3月京都にて自身がOPENさせたCLUB,「sound base SEED」でのBooty(毎週土曜日開催)など地元京都での活動も怠らない。
[DJ LEAD Internet Radio]
DJ LEAD Busman's Holiday
RUFF NECK (LA FAMILIA)

2000年にANARCHY, YOUNG BERY, NAUGHTY, JC, DJ AKIOの5人で結成。
2002年に1000枚限定で即完売した自主制作のマキシシングル『BLACK JACK / RUFF NECK』は現在でもプレミア作品としてオーク ションなどで高額取引されている程の人気を誇る。
近県でのライヴ活動を続けながら、RUFF NECK名義としてはB-NINJAH&AK-69『DA REAL THING from the street』やDJ 4-SIDE『THUGS 4 LIFE』などに楽曲を提供。
ANARCHYは2005年12月にソロデビューマキシシングル『GHETTO KING』(FUTURE SHOCK/R-RATED RECORDS)を発表し、さらに2006年4月にはマ キシシングル『GROWTH』(R-RATED RECORDS)をリリース。年末にはファーストアルバムのリリースを控えている。
また、YOUNG BERYは2006年5月にデビューミニアルバム『REAL RIDE SHIT』(BIGG MAC WORKS/R-RATED RECORDS)を発表し、RUFF NECKの音源も1曲収録。
NAUGHTYは2006年11月にデビューマキシシングル『SLICK LYRIC』(R-RATED RECORDS)をリリース予定で、本作にもRUFF NECK参加 の楽曲を収録予定。
M.M.T. (LA FAMILIA)

1999年それぞれ個々に活動していた 4WD, T-es, KING-P, DJ CHAN-Uの4人が集まり結成。
これまでに関西を中心に数えきれないライブワークをこなし、その名を広める。
4WDにおいてはソロでも活動しており、その独特の声質、声量で多くのフィーチャリングワークをこなし、メジャーレーベル(コロンビアレコード)より 1st.ミニアルバム "4ring ku-do"をリリース、その圧倒的な存在感を全国へ示す。
そして2005年、関西発自主レーベル Get Dirteee !!!! RECORDSよりM.M.T. 待望の1st. MAXI SINGLE"Comin' at ya"を発売。活動範囲を全国区へと広げる。
2006年現在M.M.T. 1st. Full ALBUM、4WD 1st. Full ALBUM、T-es 1st. EP、KING-P 1st. EPを制作中。関西大阪浪花から着火した火種が遂に全国に飛び火する!Comin' at ya !!
DJ CHAN-U (LA FAMILIA , ROC A CITY)

Sorry Not Profile ...
MACKO (LA FAMILIA)

大阪生まれ大阪育ち。98年より本格的にMC活動を開始。
その活動は当時からMaster of Ccremonyの才能を発揮する。さらに同時期から活動をMCだけに留めずイベント企画、制作に対しても自ら行動を起こしていくALL ROUND PLAYERである。
現在では,今や全国規模にまで発展したMAMMOTH PARTY『OSAKA SAFARI』@GRANDCAFE。R-RATED PRESENTSのまさしくREALなHIP HOP PARTY『La Familia』@club AZURE。又、自身自らがオーガナイズする関西最高峰ダンスイベント『STAY GOLD』@joule。日本中のダンサー達が注目するSOLO BATTLEの祭典『THE GAME』@BAYSIDE JENNYなどを中心に月に10本以上のパーティに出演しジャンルを問わず、大阪のBIG PARTYでは必ずMICを握っている。
そして、その生まれつきの突出した個性を活かして常に動き続けその勢いは留まる事を知らない、STREET発信 の進化されたMCである!!!2006年、こいつがまた何かをやらかす...
DABO (GUEST LIVE ...LA FAMILIA , ROC A CITY)

"実力派"という表現もどこかチープに感じてしまうほど卓越したラップ・スキルの持ち主、DABO。
ソロとしてもアルバムが10万枚以上のヒットを記録 したと同時に日本で最も人気と実力のあるHIPHOPグループ“NITRO MICROPHONE UNDERGROUND”の主要メンバーでもある彼はアンダーグラウンドHIPHOPのアーティストとしては異例の人気を手に入れた。
また、その才能は 多くのアーティストにも認知されており、HIPHOP作品への客演はもちろんのこと、BOAやCHEMISTRYなどのメジャー・シーンで活躍するアー ティストの作品にも参加しており、彼は日本で最も忙しいラッパーと呼べるであろう。
DABOが他のラッパーとは異なる大きな特徴の一つとして、日本語で は考えられない韻の踏み方とリズムの取り方が挙げられる。流れるようにリズムにリリックを乗せていく彼のラップは、他の誰も真似できるものではなく、彼 がアーティストからも支持され、客演に多数参加する一つの要因となっている。
二つ目の特徴としては、彼の書くリリックの内容である。リリックのサンプリング技術や引出しの多さは卓越しており、リリックの使いまわしの上手さが飛び ぬけているのである。また、一曲を通してリリックの内容がストーリー性をもっており、とかく言葉の羅列のみで無意味になりがちなHIPHOPにおいて、 彼の吐き出す言葉一つ一つが物語となってリスナーの耳に入っていくのである。
もはや、アンダーグラウンドの人気ラッパーの域を越えて、オーバーグラウンドに活躍するアーティストとして一般リスナーにも認知されているDABO。彼 の新作を首を長くして待っている多くのリスナーのみならず、新たなリスナーを開拓していく上でも、次の作品がクラシックになることはマチガイナイ。
DELI (LA FAMILIA)

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の特攻隊長の異名を持つDELI!
天性のハイト−ン・ボイスとアグレッシブなフロウ、ライブでの驚愕に値する安定したパフォ−マンスは個性派集団の中で際立った存在感を示す。
ソロとしても毎年必ずキ−となるハイ・クオリティーな作品をリリ−スし続け、引っ張りだこの客演やLIVEへの参加で常に注目を集めており唯一無二の存 在としてシーンにおいての重要人物とされている。
DJ Jazzy Jeff (2004.2.10 "DJ JAZZY JEFF" Japan Tour)

DJ Jazzy Jeff-長いキャリアを誇るフィリー・サウンドの大御所-Hip Hop界の重鎮-DJの草分け的存在-トランスフォーマー・スクラッチのオリジネイター、ヒップホップからハウス・ネオソウル・ジャズまで実に幅広いサウンドを手掛ける彼の才能の奥深さは、とてもひとことでは言い表せない。
Jeffのキャリアはまさに音楽のヒストリー・レッスン。80年代に(アカデミー賞ノミネート俳優である)Will Smithとのデュオ "DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince"の名で地元フィラデル・フィアを中心に活動を始め、"Girls ain`t nothing but trouble", "Just one of those days"といった一連のヒット曲から1stアルバム"Rock The House"で一躍人気者となる。ユーモアあふれるリリック、クリーンでラジオ向きのサウンド、そしてMTVで放映されたPV等によって、それまでアンダーグラウンドで黒人カルチャー的存在でしかなかったHip Hopをメインストリームまで浸透させたことは歴史的快挙である。2ndアルバム "He`s the DJ, I`m the Rapper" (Jive) では、Hip Hopアーティストで初のミリオン・セールを記録すると同時に、グラミー賞を受賞。リアリティをコミカルに描写したラップとスクラッチをミックスさせたこのアルバムは、彼等の地位を絶対的なものにした。(Jiveはこのアルバムを2レコード・セットでリリース。
2枚目をJazzy Jeffの超人的スクラッチ・テクニックやBeat Boxingなど、"DJにフォーカスを置いた"業界初のリリースとなる。)彼は、トランスフォーマー・スクラッチをはじめ「スクラッチ」技術をイノベイトすることでDJにアーティスト性を与え、またMCとDJの関係/基盤を築き、Hip Hopを取り巻く環境や認知に最も影響を及ぼした、革新的オリジネイターである。
その後、Will SmithがHollywoodでTV、映画俳優の道に進む一方、Jeffは原点であるフィラデル・フィアで音楽活動を続け、1990年に自身のスタジオ『A Touch Of Jazz』を設立。自らのプロダクションだけではなく、若手アーティスト/プロデューサーを育てることで、70年代に全盛期を迎えたフィリー・サウンドのリバイバルを今もリードし続けている。『A Touch Of Jazz』ではJill Scott, Musiq Soulchild, Bilal, Floetry, J-Liveといった地元出身のアーティストだけでなく、Michael JacksonやThe Isley Brothers等トップ・アーティスト達のプロデュースも担当。ATOJから始まったネオ・フィリー・サウンドのコンセプトは、 SoulQuarians (D`Angelo, ?estlove, Common), Axis Music (James Poyser, Vikter Duplaix), The Studio (Larry Gold, Vincent Montana), Black Lilly (JAZZYFATNASTEES, Floetry) Erykah Badu, Ursula Rocker, Rootsといった同じ考えを持つアーティスト/プロデューサー達、そしてかのプロジェクト「The Philadelphia Experiment」へと受け継がれている。
ジャンルを越えて活動を続ける彼は、Masters At Work / Nuyorican Soul, King Britt / Sylk 130, Jazzanova, Slum Village等のアルバムやサウンド・トラックのプロデュースにも参加。2002年にはBBEから待望のオリジナル・アルバム 「Magnificent」をリリースしている。ゲストには、Jill Scott, J-Live, The Last Emperor, Freddie Fox, Baby Blakなどを、またプロダクションにはATOJの若手プロデューサー達を起用し、Hip HopファンだけではなくHouse, Jazz, Soulなど様々な方面から絶賛された。
もちろんDJとしても忙しく世界中を飛び回り、昨年はロンドン最大のフェスティバルである"Essential Festival"において、出演者の中で唯一エレクトロニクス/ルーツ・デイの両日に出演。Mobb Deep, BeatnutsといったHip Hopアーティスト以外に、Gilles Peterson, Herbaliser, Cinematic Orchestraなどジャズ、ブレーク・ビーツ系アーティスト達とも共演する。今年のマイアミWMCでは、DJ Spinna, King Britt, Vikter Duplaix, Charlie Dark, IG CultureそしてDJ Muro 等が出演したAxis Music・BBEレコード主催のパーティにてヘッドラインを務め、2003年MWMCにおける最大の注目、観客を集める。そして2004年2月、誰も が待ちわびたDJ Jazzy Jeffの来日ツアーが5年振りに実現する!!
DJ Goldfinger (2004.4.30 "Sheets SPECIAL")

生まれつき才能のある人、努力する人、そして自身の才能をとことん信じる人。DJ Goldfingerはその全ての要素を持ち合わせた数少ないDJのひとりである。X Factah Inc. のメインDJの1人として、過去20年もの間、ミックステ?プ・クラブ・ラジオの世界を見続け、その一部として活躍して来たDJ Goldfinger。
「今、一番ホットなDJはGoldfinger」というストリートの声に、メインストリームの業界人達が気付き、彼に注目しはじめるのに、そう時間はかからなかった。2001年度の”Club DJ of the Year”を受賞したことによって、彼が20年以上にも渡って音楽に捧げた情熱と努力は実を結び、その才能は世の中に認められたのである。生まれも育ちもNYはBrooklyn。音楽に囲まれて育ったGoldfingerがDJをすることを覚えたのは弱冠9歳の頃。そして、その魅力に取り付かれた彼はその後も精力的に活動を続け、音楽業界から変わらぬ愛情とリスペクトを集め続けるDJの1人となった。
Whodini, Big Daddy Kaneなど、伝説と呼ばれるアーティストからの信頼も暑く、ヒップホップ業界のみならず、音楽業界全体からも支持されている彼が持つクライアントリストは幅広く、その数は他に例をみない。Goldfingerは自身の才能と長年の努力によって身に付けたDJスキルによって、数々の人気ヒップホップアーティストのパーティーでプレイするチャンスを手にしてきた。Puff Daddy(a.k.a. P. Diddy), Luther Vandross, Nelly / St.Lunatics. Missy Elliot, Fabolous, Ruff Endz, Truth Hurts, Faith Evans、Aaliyah主演の映画Romeo Must Dieのサウンドトラックリリースパーティー、また最近ではLil’Jon主催のNBA All Star Weekend アフターパーティー、Erykah Baduアルバムリリースパーティー, グラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞したOutKast“Speakerboxx/Love Below”の受賞記念パーティーなど、彼がこなしてきたパーティーは数え切れない。
また、Club New York, Club Cheetah ,Club NV, Lotus , Spa, Bliss, Ohm ,BB Kings ,OZ, Chaos, Planet Hollywood, Mars 2112, Lobby ,Show など、数多くのNY人気クラブでも、ほぼ毎日レギュラーイベントを持ち精力的に活動している。
Goldfingerは生まれながらにして人を惹き付ける不思議な魅力を持つと同時に、彼のパーティーに来る人々が何を求めているのか瞬時に見分ける才能を持っている。音楽に対する情熱、ファンに対する感謝の気持ちと愛情、スキル、そして決して妥協しないという意志の強さで、業界トップクラスのDJにまで上り詰めたDJ Goldfinger。彼は現在ヒップホップファンのみならず、他のDJ達、また音楽業界の人々からもNYのクラブシーンで一番ホットなDJを認められ、多大な人気をリスペクトを集め続けている。
DJ ENVY (2004.6.28 "DJ ENVY JAPAN TOUR")

DJ ENVYはこれまで4つのミックステープをリリースしている。Cam'Ron, Beanie Sigel, Jay-Z, and the Lox等のアーチストから絶大な支持を得つつ、まだまだ進化し続けている。
Queensで生まれ育った彼は、二度のJust-O Mix Tape 賞を受賞し10年以上もターンテーブルを触り続けている。しかし、それだけではない。ENVYは、BLOK ENTERTAINMENTの社長でありCEOでもある。
彼自身がマネジメントするプロダクションからはDMX, Murderers, Funk Flex, Foxy Brown, Juvenile, Petey Pablo, Fabolous, 等のアーチストが参加している。今年の夏の終わり頃にはファン待望のDJENVYデビューアルバムがDesert Storm/Epicから発売する事が決定している。
タイトルは"DJ Envy Presents "deadliest of 'Em All." である。このようにDJENVYは、プロダクションの所有、ミックステープのリリース、アルバム作成といった多忙でかつ斬新的な活動の背景にもはや従来のMIXテープDJとしてのイメージはもう過去のものとなってしまった。
DJ CAMILO (2004.8.19 "FRESH GROUND SPECIAL")

12歳の時にターンテーブルと出会い、'91年には、"CAMILO Vol. 1"というシンプルなタイトルがつけられた初のミックステープをリリース。
その後も毎月ミックステープをリリースし続け、そのテープのクオリティの高さから彼の名は徐々にシーンに浸透していき、週に4箇所のクラブでレギュラープレイするまでになった。
やがてNotorious B.I.GのバックDJであり、NY人気NO.1ラジオ局HOT 97の看板DJであるDJ Enuffの目に留まり、NYの最強DJチームHeavy Hittersの主要メンバーとなる。
アメリカ国内、そしてヨーロッパからアジアまで、世界中のクラブからの依頼が途絶えることのない彼の最大の魅力は、彼だけが造りだせることが出来るそのエネルギーにあると言える。彼が新しいレコードをターンテーブルに置く度に、クラウドの欲求は彼の欲するエネ ルギーと音楽に対する愛情で満たされ、そしてその熱気はパーティが終わるまで冷めることはない。'01年のEU諸国をTOURで廻り、ベガスでの "Magic Show" 、3万人を動員したドイツでのフェスティバルなど国内外でプレイした他、Big Tiggerがホストを努めるBETの人気番組への出演も果たしている。
そして、'03年のJusto's Mix Tape Awardsでは "Best Club DJ" としてノミネートされている。
CULB KINGとして現在もNYのトレンディーなクラブから、3万人を動員するドイツのフェスティバルに至るまで、週5〜6にも及ぶイベントで精力的にプレ イ、そのエネルギッシュなプレイとテクニックでクラウドに支持され続けている。
U-GOD (WU-TANG CLAN) (2004.12.03 "LA FAMILIA")

Sorry Not Profile ...
FAT JON (Five Deez) (2005.4.06 "carhartt presents bathroom Japan Tour")

fat jonはシンシナティー、オハイオ出身のプログレッシブ・ヒップホップ・クルー「five deez」のメンバーであり、MC/ Producer/ DJを担当している。
彼らは今までに12インチ"bluelight special"から50以上もの作品をリリースしているが、2001年に発売された"koolmotor" (counterflow)のスマッシュ・ヒットにより、その名前は一気に世に広まることになる。hip hop infinity.comは“もしfive deezがそのまま音楽を作り続けていけば、次のムーブメントを必ず構築していくことになるだろう。”と絶賛!
2002年にはfrance, germany, austria, the czech republic, switzerland, denmark, belgium, holland, poland, sweden, japan, the usaをまわるワールド・ツアーを行う。その年の12月、「five deez」はドイツのスーパーレーベルと契約。アルバム"kinkynasti"が2003年の秋にドロップされる。そのリリースに合わせワー ルド・ツアーを改めて敢行。自らの音を”transdimensional space funk”(次元を貫通/超越した宇宙的ファンク)と呼ぶ!
fat jonはソロとしても目覚ましい活動をみせている。2001年に"humanoid erotica"、2002年には、"wave motion" (mush) と "lightweight heavy" (dimid)の2枚のアルバムをリリース。urb magazineではmember of its next 100に選ばれ、billboard magazine にも特集される。彼は現在ベルリンに住み、クラブ”watergate”でレジデントを務める。加えてnumerical グループ「3582」に参加し、美しい音景にヴォーカルを提供している。彼らの1st EP "the living soul" (hum drums)は2002年、2nd EP "situational ethics" (hum drums) は2003年に発表されている。
最近では、日本の人気テレビ・アニメ“サムライ・チャンプルー”のプロダクションチームにもfat jonとして参加。Libyus Musicからリリースされるニュー・アルバム"afterthought"の制作も完了した!
morr musicのstyrofoamと新しいプロジェクトを立ち上げ、ミニマル・プロデューサーpoleと共にツアーを行う。2002年に出会った彼らは共同で制作を開 始。poleのアルバム"pole" (mute)に収録される。そして、amleset solomon とのグループ"rebel clique" を結成!発売中のデビューアルバム、"unique connection”は 未開拓の新しいサウンドelectronic hip hop soulをエクスペリメントした“最高傑作”と評されている!!
LARGE PROFESSOR and RASHAD SMITH (2005.5.01 "ROOTDOWN Special Edition")

1991年のレジェンドリーヒップホップトリオ、メイン・ソース(Main Source)のデビュー によりプロデューサー/MCであるExtra P akaラージ・プロフェッサーの名が世界的に知られる事となった。
以降彼はMCとしてだけではなくビッグ・ダディー・ケイン、 ア・トライブ・コールド・クゥエスト、ピート・ロック&CLスムース、アキネリ、ダイアモンド D、モブ・ディープ、スリック・リック、エリックB&ラキムのプロデューサーとして活躍をする。
デビューのころからPはミドルスクールのサウンドを築き上げた天才サウンドエンジニア/プロデューサー、ポールCのもとでプロダクションのテクニック学び、その彼のスピリッツを今もなお引き継ぐ数少ないトラックメーカーの一人となる。そしてPはメイン・ソースのアルバム”ブレーキン・アトムス”でもフューチャーしていたナスのメジャー・デビューシングル“ハーフタイム”を手がけ、後にそのナスの最高傑作アルバム”イルマティック”のメインプロデューサーとしてヒップホップ・ヒストリーに大いに貢献する。
1996年、Pのファアーストソロデビューアルバムとなるはずだったザ・LPはキャンセルとなるが、2002年新たな曲でソロデビューを果たした。同年2002年にニューヨーク・ヒップホップのカッティングエッジとなった旧友ナスのマスターピース、”スティルマティック”でのプロダクションでPの計り知れない才能を再認識させられ、Pのキャリアはネクストレベルにいった。
既に今年、Pはソロセカンドアルバムの制作に入り、さらに長年噂されていたメイン・ソースのリユニオン決断し、ニュー・メイン・ソースとしてラージプロフェ サーはファン待望の初来日を果たす。
高校時代からの親友Qティップのデビューを切っ掛けにネイティブ・タングが頻繁に利用していたスタジオでアシスタント・エンジニアとしてレコーディングを学び始める。
数々のプロダクションとリミックスワークをこなし、ラージプロフェッサーと共にエリックB&ラキムのアルバム『ドント・スウェット・ザ・テクニック』を手がける事になる。
後にバスタ・ライムズやバッド・ボーイレコードのビギー、クレッグ・マック、トータルなどのプロダクションをこなしビックヒットを飛ばす。
2002年、映画『ブラウンシュガー』のレコーディングに参加しグラミーを受賞する。翌年エリカバデューの『ワールドワイド・アンダーグランド』のプロダクションはUS R&Bに大きな衝撃をあたえた。
DJ ENUFF (2005.7.16 SOUL FOOD SP)

DJ ENUFFはヒップホップ業界の核心的かつ良心的な立場にいて、誰もが認めるヒップホップ業界の”The King of Kings”である。
彼はNYの人気ヒップホップラジオステーションHot 97で月曜〜木曜の5PM〜6PM、また金曜の5PM〜8PMというゴールデンタイムに”Rush Hour”という番組を持っている。これは世界No.1ラジオステーションの看板DJである事を証明している。またBETで、火曜の夜と金曜の午後にホストDJとしても参加している。
こうした活動によって、DJ ENUFFは常にストリートを驚愕させ、ラジオのリスナーとクラブのクラウドを盛り上げ続け、また12人以上のDJから構成されている”Heavy Hitters”と呼ばれるDJチームのリーダーとして、ストリートから一般層まで絶大な人気を博するようになった。
DJ ENUFFのキャリアは幼少時代から始まる。彼の叔父は70年代にDJとして活躍しており、また家族のほとんどが楽器を弾けるという家族の中で育った彼は、必然的に音楽への関心が高くなっていった。Brooklynのラテン・コミュニティで育ち、インド・コミュニティで青春時代を過ごした彼は、様々な 音楽と接しセンスを磨く事になる。彼の姉や家族がパーティをやる度に、すでにDJとして地元で有名であったDJ ENUFFのDJプレイは、彼を一目見ようとDJブースにはいつも人だかりが出来るほどであった。そんなある時、地元BrooklynでThe Love Brothersという二人組に彼等のウィークリーパーティのDJを$200でやらないか、と声を掛けられたのがきっかけで、彼のDJingが趣味からキャリアへとつながっていった。彼のパーティに来ていたDJ Red Alertに、KISS FMの彼の番組で代役としてやってみないかと声がかかっていたのもこの時期であった。それから間もなくKISS FMで DJ Red Alertの代役となり、月曜と水曜の10PM〜0AMの2時間、自分の番組を持つまでになった。
KISS FMが様々な理由で下降線を辿っている時、DJ ENUFFは外に目を向けていた。地元のブロックパーティーのDJであった少年が、Notorious BIGのツアーDJになるまで至った彼にとっては当然の事であった。
DJ ENUFFがBiggieのツアーDJとして活躍していた1994年〜95年は、ヒップホップ自体がHoodies(地元の不良達)のものからゴージャスかつバブリーなものへと変化を遂げていた時期でもあった。例えるならば、Biggieのクラシックであるゲトーアンセム”Gimme the Loot”から、クラブアンセム”One More Chance”へと変わっていったといえば分かりやすいであろう。
Notorious BIGの死後、DJ ENUFFはしばらく精神的に落ち込んでいる時期があった。そんな彼を考慮し、Hot 97の局長であったTracey Cohertyは、Hot 97で朝と夜の番組の話を持ちかけた。ちょうどライバル局であったWBLSからも引き抜きの話があったが、Hot 97に落ち着くようになり、今では伝説的な番組である”Rush Hour”のホストDJを務めるまでになった。しかし皮肉にもBiggieの死がきっかけとなった。
DJ ENUFFほど完璧なDJはいないだろう。あるDJは独創性があっても、スクラッチやミックスができない。あるDJはスクラッチやミックスが完璧であっても独創性がない。あるDJはミックステープ業界ではNo. 1であってもラジオDJやクラブDJができない。あるDJはこの全てを持ち合わせてもエゴの為に周りとの波長が合わない。しかしDJ ENUFFは、どのスキルも持ち合わせておりエゴを全く感じさせない。彼はレコードをミックスし、ブレンドし、スクラッチをして完璧なものに仕上げてい く。全くの無名なアーティストも彼の手にかかればミュージックビデオに出られる程有名にしてしまう。R&B、Rap、そしてReggaeと幅広くプレイ するDJ ENUFFは、自分がどこで生まれ育ってきたかのルーツを忘れる事なく、”Heavy Hitters”を稼動させながらも、謙虚な気持ちを忘れる事なくDJをし続けている。
前回から3年経っての来日となるDJ ENUFF。更に精力的にNYで活躍しているという彼のプレイで、ヒップホップの現在進行形を体感出来るであろう。DJ ENUFFを楽しめずして、ヒップホップは語れない!!
Lord Finesse (2005.10.28 "ROOTDOWN" -AZURE SUMMIT-)

ここ日本はもとより全世界のヒップホップリスナーから絶大なるPropsを受けるDiggin' In The Crates(D.I.T.C)Crewより、先日発売されたドキュメンタリー映画「SBX!」でのPercee-Pとのアツいフリースタイルバトルも話題となった”Funky Man”ことLord Finesseが約5年ぶりに大阪の地に登場!!
MCやDJ、そしてプロデューサーとして、ディギン・イン・ザ・クレイツ(DITC)・クルーに属すロード・フィネスは、ヒップホップにおける最も影響 力のあるアーティストのひとりとしての立場を確立してきた。
サウス・ブロンクスで生まれ育ったネイティヴ・ニューヨーカーである彼は、クラシック『ファンキー・テクニシャン』(90年)で華々しくデビュー。作り込まれたラギッドなビートとジャズやソウル、ファンクなどから用いたスムースなサンプル・ ワーク、そして知的なリリックは、イースト・コースト・サウンド、つまり広義的に解釈するとヒップホップの発展/拡大において重要な一翼を担ってきた。
また、ノトーリアス・B.I.G.やファット・ジョー、O.C.、CNNら多くのビッグ・ネームにビートを提供してきた彼は、瞬く間に人気プロデューサーとなった。ヒップホップ・カルチャーと音楽に対してロード・フィネスは偉大な貢献を果たしてきた。
ドクター・ドレーやDJプレミアらと同様、その足跡はスーパー・プロデューサーとしての彼の存在を実証している。
TONY TOUCH (2005.11.04 "LA FAMILIA 1st Anniversary Special -AZURE SUMMIT-)

NY生まれのプエルトリカン=ニューヨリカンとして英語とスペイン語を自在に操り、家庭では伝統的なスパニッシュ・ミュージックを聴いて育ちながらも、サウス・ブロンクスで産声をあげたヒップホップ・カルチャーにも傾倒、ロックステディ・クルーやグランドマスター・フラッシュ、レッド・アラート等のレ ジェンド達から多大なる影響を受ける。
自らをオリジナルB-ボーイと呼ぶ彼が選んだ表現手段はターンテーブル。ヘッズがこよなく愛するヒップホップ・ミックステープ(後にR&Bやレゲエ版も続々とリリース、これまでに200作以上を発表)の名作を次々と世に送りだし、さらにはパーティーDJとして、そしてトラックメイカーとして揺るぎない地位を確立した。
アーティストとしてもアルバム『ピース・メイカー』(00年)『ピース・メイカーvol.2』(04年)を発表、英語とスペイン語で紡ぎ出す彼の堂々としたフロウに驚いたファンも少なかった。
そして時代は今、レゲトン。巷では昨年頃から話題のこのブームも、実はこのトニー・タッチの多大なる貢献があってこそ。何を隠そう彼は90年代初頭、祖国プエルトリコの伝説のクラブ、ザ・ノイズでのレゲトン・イベントのブッキングを手伝っていたというのだ。さらに、USのヒップホップ・ブームを肌で感じるためにプエルトリコからNYに「現場修行」に来ていたプエルトリコの若者達は彼のミックステープを買い求め、同じプエルトリコ人である彼のUSでの成功に感化されたDJプライエロは、そのミックステープのフォーマットからヒントを受け、初のレゲトン・ミックステープと呼ばれるプライエロ・シリーズを発表するに至った。さらにトニーは96年、プエルトリコに本拠地を持つインディ・レーベルから『グアタウーバ』なるレゲトン・コンピレーションを発表しており、その当時すでにKRSワン、グレッグ・ナイス、マッド・ライオン等のUSアーティストをフィーチャーするという先見の明を見せている。
ニューヨリカンとして、USとプエルトリコ両国の言語や文化に精通し、さらにはヒップホップとレゲトンという、現在のアーバン・カルチャーを代表する二大音楽ジャンルの黎明期からDJとして精力的に活動を続けて来たトニー・タッチ。現在POWER105.1の週末を盛り上げるレギュラー番組『レゲエトニー・ショウ』では、今最もアツいレゲトンの最新独占チューンを惜しげもなく披露しているが、そのエクスクルーシヴ性もまた、彼のレゲトン界に置ける広い人脈と絶大なる信頼に支えられている。トニー・タッチこそが、誰もが認めるレゲトン大使、なのだ!
Da Beatminerz (DJ EVIL DEE & Mr.WALT) (2005.11.05 "SOUL FOOD SP" -AZURE SUMMIT- , 2004.11.19 JAPAN TOUR in OSAKA)

チャートに名を残す為にマイクを使いたくさんの単純なライムすることは最近のヒップホップのポピュラーなやり方だろう。それでもすべてのリアルなへッズ達の基礎はビーツだ。ハードビーツ、ファンキービーツ。ビーツは無意識に皆を刺激し首を振らせる。これらはHipHopの掘り師達(DJでありプロデューサー)が手を真っ黒にしディギンした選りすぐられたビーツの事だ。
ブルックリン、ブッシュウィックのドレッドのブラザーDJ Evil DeeとMr.Waltは最高なオーダーに答えるトラックメーカーとしてファンに好まれ、またアーティストとして知られています。BlackMoon『Enta Da Stage』やSmif-n-Wessun『Dah Shinin'』のようなクラシック・ヒップホップアルバムのプロデュ?スをした後eminem, The Roots, Rah Digga, D`Angelo, KRS-One,Wordsworth, Jean Gare, The Jungle Brothers, Mark Morrison等の多数のシングルやリミックスを手掛ける。
そして2001年には彼等のキャリアーを次のステージへ進めるべくDa Beatminerzのデビューアルバム『Brace 4 Impak』をリリースした。『俺達がhiphopにBoomBapをもたらしたんだ。ベースライン、スネアそしてキック』とDJ Evil Deeは言い放つ。そして『hiphopは昔はハードだったんだ。しかし今はエレクトリックな安っぽいものになってしまったんだ』
そしてMr.Waltが『今は大勢のプロデューサーがキーボードを使っている。しかし俺達はキーボードを使わない。もしお前がそれを上手くつかってもそれはそれだ。しかし今のそれはhiphopの基礎ではない。みんなは時代に乗っかってるだけさ。Da Beatminerzがみんなにhiphopを見せてやるぜ』
Evil DeeはこれまでのNewYork NO.1 HipHopラジオステーションHot97のDJやインターネットラジオのホストやポピュラーなミックステープDJ等の数々の実績をふまえた上で『俺は実際のところ最近の多くのhiphopには何も感じてないかな』と認める。
『しかし俺の代わりに『ワォ!これはワックだぜ。あれはワックだぜ。』って言ってるヘッズに俺はヒップホップ・レコードがどのように鳴るべきか見せるために何か創りたかったんだ。yo、俺たちのビートが今のワックなレコードに対する解決策さ』
情熱を吹き込む事はDa Beatminerzの音楽にとって大切なことだ。その情熱の多くは長い間hiphopに携わってきたブラザーから生まれている。音楽家族に生まれたEvil DeeとMr.Waltは彼らの親が持ち帰るレコードに子供の頃から夢中になった。(彼らの両親は共にバンドや教会で楽器を演奏していた。)そんな彼らにとってDJをして青春を過ごす事はそう難しい事ではなかった。
『レコードを掘り起こすことは楽しかった。』とWaltは当時を懐かしく振り返る。「yo! 俺はこれいくぜ。お前は持ってないだろ。』とかPartyに行きBilly Squireの"Big Beat"を聞いたがその時は知らなかったのでレーベルを調べたり。例えば『これはPurple recordかぁー。』とマーカーでクレジットを消してあるレコードを見ながらチェックしたり。『yo,これは誰のレコードなんだ?これは女が歌っているのか?それとも男か?』とか俺にとってはまさに驚きだったんだ。
彼のブレイクとビートへの興味はやがてクイーンズはジャマイカ地区のレコード屋The Music Factoryでの仕事に就かせる事となり、de la soulやLL Cool JやQ-tip等の常連客達へのサポートしていた。(Q-tipは自身のリリック"What"で"what's musicfactory without mr.walt?"と言っている。)Evil Deeが自身のグループBlack Moonがニューヨークで騒がれだした時,彼らはda beatminerzとしてのプロダクションチームとして成り立っていた。
Evil Deeは『最初にこのゲームに入ったとき俺たちのサウンドはBlackmoonのwho's got the propsみたいにjazzyだったんだ。そしてSmif-n-WessunのLet's Git It Onみたいにダークなベースラインとハードなドラムのサウンドになり、そして今の俺たちのサウンドになったんだ。』
DJ Premier (Gang Starr) and BIG SHUG (2006.3.17 Premier JAPAN TOUR 2006)

'90年、スパイク・リー監督による映画『MO’ BETTER BLUES』に挿入された楽曲“Jazz Thing”によって幅広い層のファンにその名を広めることに成功したヒップホップ・グループ、ギャング・スター。
ア・トライブ・コールド・クエスト等 と同様、90年代初頭から逸早くジャズをサンプリングした斬新なサウンドでヒップ・ホップの新たな可能性を提示して見せ、その後の活動からも明らかな様 に常にシーンの革新者として存在し続けたグループ、ギャング・スター。
1stアルバム『ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ』を89年に発表して以降、 『ステップ・イン・ジ・アリーナ』、『デイリー・オペレーション』、『ハード・トゥ・ア−ン』、『モーメント・オブ・トゥル−ス』、『ジ・オウナーズ』 とその時代を象徴する数々の傑作をリリースしてきたギャング・スターであるが、そのサウンドの要とも言える素晴らしいトラックの数々を制作してきたのが DJプレミアである。
彼の留まることを知らないアイデアの数々とそれを裏付ける高度なスキルは、ヒップ・ホップ・シーンの中でも一線を画している。最 早、天才職人の作品といった域まで達している彼のトラックの数々は、一小節や二小節のフレーズを繋いだだけの限り無くシンプルなトラックであるにもかか わらず、強力なインパクトでリスナーを虜にしてしまうのだ。
プレミアは、ジェルー・ザ・ダマジャやグループ・ホーム、ビギー、ナズ、ラキムといったア− ティストのプロデュースも手がけているが、そのどれもが非常に高いクオリティーで制作され大ヒットしている。正にヒップ・ホップ界の誇る至高のトラック・メイカーとして絶大な人気と評価を得ているのがDJプレミアなのである。
デビューから15年にも渡って常に革新的な存在として君臨してきた彼が、遂 にAZUREにDJとして登場する。この貴重な機会を決して聞き逃さないで欲しい。
DMC (2006.7.01 SATURDAY AZURE SP)

DMC(本名:ダリル・マクダニエル)はヒップホップ界の伝説的グループ=RUN D.M.C.のメンバーとして20年以上に渡って第一線で活躍を続けてきた。
ラッパーのDMC、RUN(ジョセフ・シモンズ)、そしてDJのジャム・マ スター・ジェイ(ジェイソン・ミゼル)の3人からなるN.Y.クイーンズ出身のRun DMCは84年のデビュー・アルバム『Run DMC』以来、ヒップホップとロックを融合させた独自のスタイルで一世を風靡し、特に3rd『RAISING HELL』収録の「Walk This Way」は歴史的メガ・ヒットとなり、ヒップホップが市民権を得る上で多大な貢献を果たした。
93年の6thアルバム『DOWN WITH THE KING』リリース後、しばらくグループの活動は停滞していたが、2000年の7thアルバム『CROWN ROYAL』で完全復活。だが、2002年10月30日、地元クイーンズのスタジオでジャム・マスター・ジェイが射殺されるという事件が発生し、結成以 来のメンバーにして唯一のDJを失った彼らはグループ活動停止を余儀なくされてしまう。
しかし残った2人はそれぞれソロ活動を開始、RUNはREV RUN(レヴ・ラン)と改名し2005年秋に『DISTORTION』を発表。
そして2006年春、 サラ・マクラクラン、レヴ・ラン、キッド・ロッ ク、DJリーサル(ハウス・オブ・ペイン/リンプ・ビズキッド)、ダグ・E・フレッシュ、エリオット・イーストン(ザ・カーズ)、ジョシュ・トッド (バックチェリー)、ジョーイ・クレイマー&トム・ハミルトン(エアロスミス)、ゲイリー・ドゥーダン(ドラマCSIの主演俳優)等、豪華ゲストが集結 して完成したDMC初のソロ・アルバム『CHECKS THUGS AND ROCK-N-ROLL』がいよいよリリースされる。
GURU (2006.7.21 THE GURU 7.0 TOUR with GURU of GANGSTARR & JAZZMATAZZ)

ギャング・スターではDJプレミアとの素晴らしい名コンビぶりを披露したラッパー、グールー。彼の特徴は、こもった声から繰り出す、もたつくようなラッ プだ。
93年に、ギャング・スターと平行して課外活動を開始。ドナルド・バードやブランフォード・マルサリスという名うてのジャズ・プレイヤーたちをゲストに 招いた『ジャズマタズ(ヒップ・ホップ・ジャズ革命)』を発表し、アルバム・タイトル通り、渋〜い味わいのジャズを絡めたヒップホップを展開した。95 年には、続く第2弾『ザ・ニュー・リアリティ〜ジャズマタズ2』をリリース、前作のスタイルを継承。しかし、00年の3rd『ジャズマタズ:ストリート ソウル』ではジャズ・ミュージシャンの参加はハービー・ハンコックのみとなり、昨今活躍が著しいR&Bアーティストをフィーチャーした落ち着き感ある ヒップホップを作り上げた。ジャズ要素は希薄となったが、楽曲は四の五の言わせぬ完成度を誇っている。
ギャングスターのGuruによるソロ・プロジェクト、ジャズマタズ。
‘HIPHOPとJazzの実験的な融合’というコンセプトで発足したこの企画だが、当時のジャズ系HipHopと言えば、A Tribe Called QuestやPete Rock & C.L.SmoothのようにあくまでHIPHOPのツールとしてジャズの要素を取り入れたものと、Digable Planetsのようにもろジャズの生演奏の上でラップしてしまう‘ジャズ・ラップ’の2通りがあったが、このGuruによるJazzmatazzは後 者に当てはまるだろう。そもそも安易なミクスチャーというものが認められにくいHIPHOPの世界ではあるが、Guruのジャンルを越えた積極的なチャ レンジは各方面で高く評価された。この企画に邦題として付けられた『ヒップホップ・ジャズ革命』が大袈裟であったか、的確であるかどうかは、リスナーの 耳に委ねられるところである。
HIPHOP界の至宝、ギャング・スター(Gang Starr)のMC。89年"Jazz Thing"などのヒットでい一般にも知られるようになったこのグループ、そもそもはGURU主導で始まったというのは有名な話。プレミアとタッグを組 む以前から考えると80年代後半から活動しているわけだから、相当なベテランと言っていい。
ギャング・スターとしての活動はご存知の通りだが、そのほかにもソロ名義でJAZZ/SOULミュージシャンとのコラボレー ト、"Jazzmatazz"シリーズやIll KIdレーベルの運営などでも知られる。
"Jazzmatazz"はこれまでに4作をリリース、コートニー・パイン(Courtney Pine)やハービー・ハンコック(Herbie Hancock)、ロイ・エアーズ(Roy Ayers)、ドナルド・バード(Donald Byrd)などのJAZZ畑はもちろん、エリカ・バドゥ(Erykah Badu)、ケリス(Kelis)、ビラル(Biral)といったR&Bアーティストなどと共演、実に渋い作品を残している。
KOOL DJ Red Alert (2006.8.25 ROOTDOWN)

ヒップホップレジェンド、クールDJレッド・アラート。 DJ Red Alert(レッド・アラート)は、オールドスクール期から活動を続けるラジオDJ界のパイオニア で彼のラジオでレコードをスピンされ、世にブレイクを果たしたアーティストは数知れない。Kiss FM、 HOT 97、POWER105.1 FMのミックスショウ等で知られる。
彼はズールネーションのメインメンバー、ジャジー・ジェイの親戚であった彼はアフリカ・バムバー タから学んだDJプレイのテクニック、そして今ではニューヨークはもちろん世界にも並ぶ者が存在しな い程のレコードのセレクションの奥深さを武器に、70年代からサウスブロンクスのパークジャムやク ラブでDJプレーを始める。
80年代後半、サウスブロンクスを代表するリアルヒップホップグループのブギー・ダウン・プロダ クションズのメンバーとしてヒップホップにレゲエのサウンドをストレートに取り込みヒップホップに 新たな可能性を与えたり、ジャングルブラザーズ、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クウェ ストで知られるネイティブ・タングの中枢であった彼は、アンクル・レッド(レッドおじさん)と呼 ばれ親しまれ、ヒップホップ世代に多大な影響を与えているDJである。
現在、ニューヨークのFMステーションHOT97と対立するヒップホップステーションPOWER105.1で 平日昼に放送されてる人気番組”OLD SCHOOL AT NOON"でアンクル・レッドは今もなお多くのリスナ ーが思い出せなかったり知らなかったオールドスクールやクラシックスをプレーし驚きと楽しみを与え 続けてくれている。30、40代のリスナーはもちろん、20代のDJビートメーカー達がネタやテクニ ックを盗むためにチェックをしている番組だ。彼のDJプレーにはJay-Z、スヌープドッグらのサウンド に潜在するリアルヒップホップビートを聴くことができる。今のヒップホップにつけられているサグな イメージにより良質な新譜を聴く機会を失ってしまっているヒップホップファンだった人は多いはずだ 。どのDJのプレーを聴いても選曲で、聴き飽きてしまった新譜ばかりを耳にさせられ、小さなくくりの 音楽とされてしまいがちなヒップホップ、そのヒップホップが本来偉大な音楽であることを証明してく れる。
Alchemist (2006.9.30 SATURDAY AZURE -HARLEM presents FIRED UP JAPAN TOUR 2006-)

Alchemistは、普遍なものを特別なものに変えるマジックを持っている。サンプルを心動かすビートに変えてしまう彼の能力がヒップホップの新時代 で注目されつつある。
1993年、Cypress HillやHouse of Pain、Funkdoobiestといったアーティストのヒットメーカー、The Wooligansという二人組の一人として活躍。この二人組は、”Put Cha Hands Up”というシングルをリリースし、後にAlchemistのキャリアの源となった。Cypress HillsのDJであるDJ MuggsのアドバイスでCypress Hillとツアーを共にしながらも次々とトラック制作を始め、彼がプロデューサーとして一目おかれるきっかけになったのは、Fat JoeをフィーチャーしたCypress Hillの”Tequila Sunrise”のリミックスである。 そしてその後もDilated Peoplesのメイン トラック提供者としてプロデューサーのスキルを磨き続ける。Dilated PeoplesはAlchemistの手によって”The Platform”、”Guaranteed”や”The Platform Remix”といったアンダーグランドクラシックへ導かれる事となる。DJ Muggs、DJ Premier、Large Professorといった大物アーティストに影響される前にAlchemistは、Defari、Pharohe Monch、Royce da 59、Mobb Deepといったアーティスト達に注目されるクラシックを提供し自分の名前を世に知らしめることに成功する。
Alchemistがアグレッシブなビートメーカーとして認知されたのはMobb Deepがきっかけだったのは言うまでもない。それは、彼らのプラチナムアルバムであるMurda Muzikの”The Realest”と”Thug Music”をプロデュースしたときである。アンダーグランドのファンは既にAlchemistのハードコアなトラックの嗜好に気付く中、Fat Joe(“Bring it On”) 、Eminem(“Get Back”) 、Freddy Fox(“Stock in The Game”) 、Capone-N-Noreaga(“Bang, Bang”)といった大物アーティスト達も自分達のアグレッシブな部分を正しく表現してくれるプロデューサーとして注目しはじめたのだった。2002年 1月号のThe Source誌では、Dr.Dre、 The Neptunes、Mannie Fresh of Cash Money、Timbarlandと並ぶ2002年のトッププロデューサーの一人として称えられた。それ以降、彼の認知度は急上昇し、 Jadakiss(“We Gone make It”)、Prodigy(“Keep It Thoro”)、Nas(“Book Of Rhymes”)、Snoop Dogg(“Hey Girl”)、Ludacris、Gostface Killa、Big Daddy KaneからLinkin Parkや Morcheeba等のオルタナティブロック勢にも多様性あるトラックを提供。しかし大物アーティスト達からの注目が高まっても、リミテッドエディショ ンの記念レコード、ALC Street Themesをリリースするなど、彼はアンダーグランドのファンを決して裏切る事はしない。ディストリビューターであるFat Beatsはこのレコードをヒップホップ上、最もバリューが高いと絶賛している。Eminem、Xzibit、Cypress Hillといったアーティストをかかえるヒップホップのパワフルなマネージメント会社、Goliath Artistsの創設者、Paul Rosenbergをマネージャーに持ち、彼は今後更なる飛躍をすることであろう。Alchemistは既にMobb Deepのシングル “Got it Twisted”をプロデユースし、このトラックは、コカ・コーラ、バニラバージョンのラジオCMとして起用されている。
2004年には、最初の Alchemistとしてのアルバム、”Alchemist:1st Infantry”をリリース。このアルバムには、HIPHOP界の大物アーティストから、ここまでのAlchemistの地位を助けてくれたアーティ スト達が参加している。G-Unitsをフィーチャーした”Bangers”は全国中でラジオ放送され、ミックステープが出回った。他には、 Cypress Hill、Havoc、Mobb Deep、 Prodigy、Dilated Peoples、D-Block’s Jadakiss、Sheek、 J-Hood、 Devin the Dude、Nappy Roots、、Stat Quoそして The Gameといった豪華なメンバーが参加している。現在AlchemistはDilated Peoplesのエグゼクティブ・プロデューサーとしてプロジェクトに参加している。
今年の7月末には、G-Unitに移籍したばかりのMobb DeepのバックDJとして来日したが、単独来日は初であるAlchemist。果たして日本という土地でアンダーグラウンド、オーバーグラウンドが ミックスされた化学反応はどう起こるのか?
GM YOSHI (2006.11.09 JIVE)
GMとはGroove Masterの意味。
90年代初頭から、関西を中心にクラブDJとして活動をスタート。
91年には、世界的DJバトルイベントDMC世界大会で日本人と して初の第3位という偉業を成し遂げ、日本のバトルDJの草分け的存在となる。
2001年7月には、初のフルアルバム「GROOVE MASTER YOSHI」をリリース。現在までに自身がプロデュースした楽曲も数多くリリース、その他、多くのアーティストのアルバムやコンピレーションアルバムなどに参加したり、DMCのゲストDJや、日本代表審査委員を務めるなど、日本はおろか世界視野で活躍する数少ないDJ!GM YOSHIが操るその巧みなスクラッチはまさに神業!!
※GROOVE MASTERとは、「のりがいい」「のせるのがうまい」または「レコードの溝で一番」という意味。
TWIGY (2006.11.10 ENTER)

日本語ラップのオリジネイターであり、日本HIP HOP界屈指のラッパー。
BEAT KICKS、MICROPHONE PAGER、雷のメンバーとして、TWIGYは日本のHIP HOP史上で重要な役割を果たす。
あの「さんぴんCAMP」から10周年を迎え、TWIGY自身もラップを始めて20周年という、日本のHIP HOPにとって節目にあたる2006年。
シーンでの様々な動きが予想される中、日本語ラップ界における重要人物の一人、TWIGYもソロとして早く3年半振り、5枚目のオリジナル・フルアルバムをついにリリースする。
D.O (Dangerous-Original) (2006.11.10 ENTER)

外見からは想像もつかない独特のハイトーンヴォイスとオリジナルすぎるフロウ・キャラクター。
KAMINARI-KAZOKUの若手筆頭としてその名を 浸透させ、現在では東京No.1 Street Crew “D.OFFICE”“BOOTSTREET”“練MOTHAFACKERZ”のフロントマンを務める。
そのスキルは日本という枠にとどまらない地球屈指のMCだ。
MASARU from 妄走族 (2006.10.26 THE LEGEND)

97年からMICを握り、数々のイベントやクラブでのゲリラライヴを経て、現在も怒濤の活動を続けている渋谷・三軒茶屋・下北沢が生んだ HARDCORE HIP HOP集団 “妄走族” に98年の結成と同時に参加。
当時からストリートでライヴを行い、その確かなスキルとフローは聞く者の心に生きる力を与え、ストリートでの若いヘッズか ら絶大な支持を得ている。そして、妄走族のイベント“核MIX”の他に2004年夏“LIVE IS LIFE”を渋谷O-EASTで1000人近いお客さんを集め、そのイベントの収益からチャリティーをしたりグラフィティクルー“ACC”のTOMI- Eが書いた世界に1台しかないグラフィックが施された車をプレゼントするなどお客さんを心ゆくまで楽しませるイベントも精力的に興行中。
2004年3月 渋谷SIMOONでのMCバトルで予選3回(バトルは6回!)と本選5回(なんとバトルは11回!)を見事突破し、文句なしの優勝!他にも都内のMCバ トルに度々参加し、本人曰く「日々、自分試しをしている...」と。おごることを知らず日々精進する姿が彼を象徴している。
街でHIP HOPを愛している人、HIP HOPを知らない人もこのアルバムを聴いてHIP HOPが本来持っている「仲間の絆」「街での生き方」「リアルなメッセージ」を再確認する意味でも必聴のALBUM『LIVE IS LIFE』。これを聴かずしてTOKYOのHIP HOPは語れず!このALBUMでリスナーの心にHOTな力が宿るであろう...
韻踏合組合 (ENTER)

全国にその名を轟かす大阪を代表するクルー。合体と脱退を繰り返し、SATUSSY、ER-ONE、DJ KAN(以上CHIEF ROKKA)、HIDA、遊戯、DJ KITADA KEN(以上HEAD BANGERZ)、N.I.(ex.MENTOL)という現在のかたちに。
これまでに未発表音源集「IFK VOL.0」を皮切りに「CRITICAL 11」,「INFUMEMAS...EP」,「ジャンガル」とたて続けに作品を発表、大きな話題を生むとともに、各方面から多大なる評価を受ける (REMIX誌2003年度ヒップホップアルバム1位、BLAST誌2003年度アワード8位、他)。
その動きはクルー内にとどまらず、大阪発のコンピ レーション「420 VOL. 1、2」への参加や、神戸が生んだ敏腕トラックメイカーDJ NAPEY「ILL FINGER」への楽曲提供、東京アンダーグラウンドシーンの雄、MSCや降神、神奈川のハードライマーICE BAHNとのコラボレーションなど、全国にその強力なエネルギーを波及させる。
2005年には赤盤、青盤、黄盤と3枚のEPをリリース、自主製作盤なが ら3枚ともに好調なセールスを記録する。発足以来、常に大きな影響力を見せつけてきた韻踏合組合。
2006年、待望のフルアルバム『TRASH TALK』が完成、IFKの新たな伝説が始まる。
Coe-la-canth (ROYALTY)

2002年、悠然 a.k.a 赤いメガネとDJ K-MOON(ケイムン)の一声で同世代であるA.O.T(OOGAWA/ハタノバドワイザー/ブリケンa.k.aKENTA)、吉田 daBOOBEE、DJ SCRATCH NICE、DJ OHKUSを上手く丸め込みCoe-la-canthを結成。
以前より個々での活動もあったが、結成後さらにその勢いは増し、現在に至るまで数々の海外 ARTISTとの共演など更にLIVE回数を増やす。翌年、姫路Club LEAFで行われた[LIVE CONTEST]にて優勝。個人タイトルでは同年B-BOY PARK 2003"MC BATTLE"にて吉田daBOOBEEが本戦出場BEST16、他メンバーも大阪ローカルMC BATTLEにて好成績を残す。また、この年の締くくりにBlast誌監修コンピレーションアルバム[HOMEBREWERS vol.2](P-VINE)に一曲参加("Coe-la-canth // 現実逃避")し、その一曲がキッカケとなり、04年地元大阪はもちろん関西圏外でのLIVE(CLUB、LIVE HOUSEの他にチャリティーイベントで...)も月に十数本を越す。
05年は、ケイムンがINCREDIBLE BEATBOX BAND(AFURA,ケイK-MOONの三人)での活動も活発となる。(*TV...フジテレビMUSICフェア,フジテレビ特ダネSUMMER SONIC 2005,スペインバルセロナで行なわれたSONER FESにてKANYE WEST,DE LA SOUL,M.I.Aらと共演etc...) また2月よりCoe-la-canth PresentsのPARTY[ROYALTY]@OSAKA Club AZUREを開始し、同年夏にはコンピレーションアルバム[関西ラップル2005]に"三角跳び"の一曲収録。
現場での活動は、LIVEはもちろんMC BATTLEへも積極的に参加し、MSC KAN Presents[ULTIMATE MC BATTLE]にて吉田daBOOBEEがBEST4を果たすなど個々のFREE STYLEも評価され、ドキュメント映画[FREE STYLE]の大阪公演にてLIVE。そして05年末、遂にALBUMのREC終了し翌年3月に1stALBUM"SWIM STANCE"をC-L-C RECORDSよりRELEASE。
同年にはDJ SCRATCH NICEがBONSAI RECORDより自身初となるMIX CD"BRING DA BEATBACK"をDROPし、続けて九州の05年ITF九州CHAMPのDJ SHOEと"ILLTURNTABLIZMシリーズ"を製作。(06年08月第二弾RELEASE予定)さらに悠然a.k.a赤いメガネらが地元堺の仲 間を招集しSouthOsakaSquad結成しV.A"S.O.S"を完全自主制作にてRELEASE。そして06年8月5日(土)発売の" 攻撃重視 "DJ SOOMA meetz DOPE EMCEEEEZに"その日暮らし"で一曲参加。現在2ndALBUMへ向け日々精進中...
DJ KEN-BO (2006.8.12 SATURDAY AZURE)

84年、12歳という若さで現在の礎となるべく、DJとしての第一歩を踏み出す。
89年からダンサーとして数々のTV番組に出演する。90年からは、 DJとして”ZOO”のサポートメンバーに加わり、テレビ朝日系番組”DADA”の選曲などを担当する。
94年には、伝説のヒップホップグループ“キン グギドラ“のLIVE DJを勤める。97年からは、盟友 ZEEBRAとU.B.G (ZEEBRA、UZI、OJ&STを擁するHIP HOP集団)を結成する。99年には、真木蔵人を中心に仲間アーティストが集まり”NAKAMA RACING TOUR”のメインDJとして全国にその名を轟かせる。
また、この年の10月からZEEBRAと共にT-FMビート・トゥー・ザ・ライム(毎週火曜日生 放送)をスタートし、02年9月まで3年間レギュラーを勤める。
本業の方では、一人で一晩任される5時間プレイや、クラブ閉店後から昼まで営業のイベン トを企画したり、海外(LA、カナダ、韓国)でもプレイし、常に日本のHIP HOPシーンを牽引し続ける。03年8月からは、”The Finest”(毎週金曜日)を渋谷HARLEMにてスタートし、企画の段階から加わり、2F、3Fを総合的にプロデュースする。この年9月からは、 FIRSTKLAS(ZEEBRA、今井了介で結成したプロデュースチーム)に加わり、プロデュース業にも力を入れる。03年〜04年にかけては、 FIRSTKLASでオーディション番組”MTV STAR TOUR”にて新人発掘に力を入れるなど、広範囲に渡って活動中。
DJ CELORY

日本HIPHOPシーンの黎明期より、そのポジティブな姿勢と常に自然体であり続けるスタイルでシーンに確固たる地位を築いたSOUL SCREAM そのサウンドを支えるプロデューサー&DJとして日本HIPHOPシーン屈指の人気を誇るDJ セロリa.k.a Mr.BEATS。
93年頃からDJを初め94年に錦糸町のクラブNudeで HAB I SCREAM E.G.GMAN ALG SHIKI(97年に脱退)に出会いソウルスクリームに参加。以後現在に至るまで洋邦を問わずプロデュース&リミックスワークの多さで知られ、一方CLUB PLAYとしてのDJも大切にし、数々のイベントで活躍中。
また、HIP HOPアーティストのみならず佐野元春、佐藤竹善&Char、YMO 山嵐、のREMIXも手掛けており2003年3月には、HIP HOP、R&B クリエイター陣が安室奈美恵とコラボレートしたプロジェクトSUITE CHICにも参加しより広い層にその存在感をアピールする事で枠に捕らわれないマルチな才能を 発揮している。
ちなみに現在は、ZEEBRAのニューシングル「STREET DREAMS」を筆頭に、まもなくリリースされるNEW NALBUMに向けて、トラック製作に明け暮れる毎日である。そして更に、国内だけでなく海外のアーティストとの仕事も積極的に行っておりJIGMASTAS(クリミナル&DJ スピナ)、TALIB KWELIとのコラボレーションやBLACK THOUGHT(THE ROOTS)、SISQO、O.C. PEANUT BUTTER WOLFのリミックスなど間違いないBEATを提供。
音に対するこだわりがCELORY BEATを完全に確立、a.k.a.Mr BEATSの名にふさわしいサウンドを作り続けている。 ちなみに、熱狂的なサッカー好きとしても知られ、日本女子サッカー代表(なでしこJAPAN)キャプテンの澤 穂希選手との対談や『ollie』誌にてサッカーコラムの連載経験あり。
DJ KOMORI (Ruby Red)

96年よりDJ活動を始め、今や日本を代表するR&B DJとして知られる彼。
歌物の純粋な伸びやかさを大切にしたR&B一筋のDJスタイル。
空間を包み込むように彩るその包容力に、老若男女問わない絶大な人気を一身に集めてきた。
01年からはClub HARLEMにて、自身がオーガナイズをこなすR&Bパーティー「APPLE? PIE」をスタート。5周年を迎えた現在ではHARLEM屈指のビックパーティーとしオーディエンスを沸かせている。
05年2月にはUK名門レーベル 「DOME REDORDS」の音源のみを使用した、自身初となるメジャー流通によるオフィシャルMIXCD【DRAMATIC DOMEMIX】を発売。
06年7月には、オフィシャル第2弾として、ビジュアルデザイン総監督に漫画家:井上三太 氏(「TOKYO TRIBE2」「隣人13号」他)をフィーチャーしたコラボレイトMIXCD「You gotta hold on me」を発売。今後更なる活動展開を繰り広げることが期待されている。
DJ YAZZ (Ruby Red)

大阪にて DJとして活動を開始し、様々なPARTYでPLAYし着実にキャリアを築いてきたDJ YAZZ。
その当初よりHIP HOP・R&Bを軸とし、独自の感性から生み出される新旧問わない選曲、MIXセンス、グルーブ感のあるPLAY STYLEには定評がある。特にR&Bを中心としたPLAYを得意としており、誰もが心地良いと感じる空間を作る感性は群を抜いており、多くのファンを 持つ。
MIX音源では、クローズ間際の選曲をコンセプトにしたシリーズの「SLOW JAMZ」、2006年11月に発売された「SLOW JAMZ02」は好セールスを残した。そして、2007年からスタートした新譜R&Bを中心としたマンスリーMIX CD「THE COOL 〜EXCLUSIVE R&B〜」は、U.SのMIX CDにも引けを取らない新譜の早さとDJ YAZZのセンスが光る選曲の良さで好評を博している。2008年2月からは新譜HIP HOPのマンスリーMIX CD「STREET NIGHTMARE」をスタートし、こちらも順調なセールスを記録している。
現在は、2005年に大阪 宗衞右門町にOPENしたCLUB PUREでの毎週金曜日「WHAT'S POPIN'」、毎週土曜日に300人以上を集客しているSAM&DAVE2の看板PARTY「BRING THE NOISE」や毎週木曜日の「HOT SPOT」@retentisに月1での出演や偶数月第三木曜日、東京のDJ KOMORIの唯一の大阪レギュラーPARTY「RUBY RED」@AZURE、「CORNER」@JOULE、のレギュラーPARTYを中心に各地方へのGUEST出演、その他にもTHE 9 FAR EASTや現在東京で活動中のL&JのLIVE DJとしても活動しいる。
毎月十数本のCLUB PLAY、毎月2タイトルのMIX CDと現場・音源のどちらにおいても、勢力的に活動中!!
今大阪で最も要注目のDJであるこは間違いない。
DJ RYOW from NAGOYA

岐阜県大垣市出身。2月16日生まれ。現在、名古屋、東海地区を中心に活動中の"ENDLESS FILE"のDJ&PRODUCER。
DJとしては、"THE BALLERS"をはじめ、名古屋、岐阜等でレギュラーイベントを持ち、その他、数々のイベントに出演中。"BEST OF TOKONA-X","NEXT GENERATION","THE CLASSICS",マンハッタンレコード独占MIX CD,BAGARCH MIX CD等MIX TAPE,MIX CDは全38タイトル以上をリリースするなど、ストリートに根ざした活動は全国で高く評価されている。
また、PRODUCE(DJ RYOW,GRAND BEATZ with TOMOKIYO)としては、DJ RYOW feat TOKONA-X"WHO ARE U ?"(K-1富平選手入場曲、映画"三浦和義事件"主題歌)をはじめ、M.O.S.A.D.,"E"qual,AK-69,KALASSY NIKOFF,般若,MR.OZ,LA BONO,307BOYZ,ENDLESS FILE,SYGNAL等、全国で活躍するアーティストにトラックを数多く提供(作品となっている曲数として、約100曲以上)している他、MS RECORDより自分名義の1st ALBUM "PROJECT DREAMS"、"052 LEGENDS"、ENDLESS FILE & SYGNAL "FROM THE BALLERS CAMP"、ENDLESS FILE"BEGINNING OF LEGEND"を発売。
2006年8月15日には、DJ RYOW &TOMOKIYO (GRAND BEATZ)のアルバム"PROJECT DREAMS PT.2"を発売予定。次世代のDJ & PRODUCERとして、要注目人物の一人である。
DJ HAL (2006.9.20 BLACK JAM)

2000年、東京近郊を中心にR&B/HIPHOPの選曲を中心にクラブDJとして活動を始めたDJ HAL。
幼少の頃よりピアノとドラム、歌で培われた音楽センスで豊富な選曲と多彩なスキルを最大限に活かしたグルーブ感あるプレイは、わずか5年のキャリアとは思えぬ存在感を醸し出している。
2003年にはその非凡なるセンスを見出され日本を代表するsinger、HI-Dの専属ツアーDJとして新たな展開を開始し、若干20歳にして更なる活動の場を全国に広げる。共演アーティストJIN(Ruff Ryders) / LORD FINEESSE / THE BEAT NUTS / KENNY DOPE / CIPHA SOUNDS / DJ JAZZY JEFF / GURU(GANGSTAR) 。
また日本を代表する“DJ CELORY”と共に2005年4月より渋谷HARLEMにてメインDJとしてイベントをスタート。新たな展開としてPro-SeeDをはじめ、他ダン サーなどのオリジナルトラックメイキングもこなし、今年8月に「DANCE FUNK」(DVD)のtotal music producerとして参加、HI-Dのalbum(me 2 you)にもinterlude2曲参加、DANCE DVD『ALL MY WISH』のtotal music produceもこなし『DJ HAL』として映画にも参加,人気ROCKグループ『SIAM SHADE』のボーカル『HIDEKI』のNEW SINGLE(カップリング曲)『東京装置』DJ SCRATCHで参加TRANCE DJ『TORA』のアルバムにも参加 HIPHOPとTRANCEの融合を実現ジャンルを超えて、様々な音楽とのコラボを実現させている不定期リリースされるMIX CD 『FUNKY STUFF』『ULTIMATE BEAT TRAVEL』他にまれをみない非常に高い評価をリスナーのみならず、現場からうけている。現在、最も将来を期待されているDJである。
JAZZY BLAZE (ROC A CITY)

2000年活動の拠点を三重から関西へ。この時から現在まで年間約100本のステージを欠かした事は無い。
様々な国内外の著名アーティストのツアーに参加・同行し関西圏での信頼を得る。03年、I.F.Kの2nd(P-VINE)へ参加。また、2004年の春からD-ST.ENT.に合流。
スタイリッシュ且つ、その人間の像を汲み取る事の出来るリリックス、卓越したフロウ、決して奇をてらう事の無いライブパフォーマンスは、関西ニュージェネレーション集団、D-ST.ENT.の中でも独自のポジションを築き上げるエレメンツとなるものだ。
これまでにH★G★S★P(Victor)、そして4WDやNORISIAM-X (共にコロムビア)、WOLF PACK (KSR) 等に参加。同年6月30日に発売したD-ST.ENT所属のアーティストによるコンピレーション「D-ST.INFINITY∞」に自身のソロ曲を含む4曲に参加。クルー云々で動く重要性を熟知しつつ、"セルフ・マネージメント"という哲学を忘れない等身大のSTRICTRY HIP HOPを掲げた孤立無援の1MC、それがJAZZY BLAZEである。
WOLF PACK (2006.11.26 VARY)

1999年、MCのU.S.Key(ユー・エス・ケイ)&VOLFGUNG(ヴォルフガング)、 そしてDJのNAOtheLAIZA(ナオ・ザ・ライザ)によって結成されたWOLFPACKは、大阪のミナミ アメリカ村のクラブイベントでLIVE活動の狼煙を上げる。
その他のライブ・アクトとは異なるスキット込みの独自のスタイルは、一度見たら妙にハマると いう特殊なノリで、その結果WOLF PACKの名はジワジワと口コミで浸透していった。2000年に全国のMC,SINGERがエントリーしたオーディションイベント『CLUB 2000』(審査員にDJ YUTAKA氏など)のRAP部門に参加。関西地区予選を破竹の勢いで勝ち進み優勝。デビュー目前まで話が進むが音楽性の違いでキャンセルするという異例の事態を引き起こした。
その後、2001年にVaxim(ヴァグジム)がトラックメーカー兼プロデューサーとして加わり、DJ NAOtheLAIZAとともにプロデュースチームHI-A+Production(ハイエイタス・プロダクション)を組織し、音源作りを開始。同時に 積極的にLIVE活動(GURU、PHIFE、TWIGY、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND、などのオープニングアクトも勤める)を行う。同年にはCD-R作品「WOLF PACK E.P」を秘かに発表。DOBERMAN INC.の2ndアルバム「MEGA CITY FIVE」への客演などもこなし、着実にWOLF PACKの世界観を関西一円に伝染させた。
そして2004年には1stアルバム「GERGON FILE」をインディーでリリース(D-ST.ENT/KSRより)。じわじわと売れ続け某メガストアの”地元店”ではセールスチャートにも登場。
2006年1月には"COLUMBIA JAPAN"より2nd ALBUM 「ファイロマニア」を発売。ウルフパックワールド全開のファンにはたまらない最高の作品に仕上がっている。
DJ YS (ROC ON , LA FAMILIA)

奈良県出身。2000年、CLUB DJとして活動、その頃から毎月10本以上のEVENTにブッキングされ、現場での活動に鍛錬した成果が近年現れ始 めてきている。
現在数多くのREGULER EVENT(下記参照)に参加・企画・制作を持つ。PLAY STYLEはHIP HOP・R&Bを軸にジャンルの壁を超越した多彩な選曲・MIX・スクラッチでその場の雰囲気に合わし、オーディエンスを湧かせ、時には甘い気分にさせる。
地方から(CLUB DJ・ファッションショー・ミュージカル・他多数のイベント)のGUEST出演依頼も多く「DJ YS」という名は全国展開し始めている。最近になり作 品面でも活発に動きMIX CD(UNDER WAY vol.1)・MIX CD(UNDER WAY vol.2)・限定MIX CD(ROC ON vol.1)を全国発売!売り上げも良好で話題となる。
またgirl’s wear shop(SWEET.B)のリニューアル記念のOFFICIAL MIX CDや世界的有名なミュージカル「十戒]のイベントでのDJ、楽曲制作など幅広く活動。4月28日に(UNDER WAY vol.3)発売した。
DJ REE-AGE (RE:)

96年HIP HOPと出会い、その後DJ活動をスタート。
様々なシーンで膨大な数のイベントをこなし、ジャンルボーダレスであるがALL MIXでもない、独自のスタイルを確立。
それはOLD SCHOOLを軸に、Classic Musicを様々なジャンルから新旧問わずMIXし、絶妙なカットインから繰り出す型破りな展開。
そこから生まれるGrooveはマネの出来ない REE-AGEスタイル=Brand New Classicsである。
MAKE LOVE SOUND (CRAZY MONDAY)

Sorry Not Profile ...